2013年3月29日金曜日

「センスのない人」のセンス

ちょいと話題になっている「センスのない人」の記事を見て、「ははぁ、部分最適化と全体最適化の話だな」と思う人こそが、本当にセンスのある人なんではないか。
例えばバス。そこそこの混雑具合で、運転手(「サービス・クルー」とか言うんだっけ)が車内アナウンスを使って「混み合いますので置くまで詰めてください」みたいなことを言っているのにも関わらず、出口ドア付近でピタリと止まって動かない人。センスが無い。最初のバス停で降りるならわかるけど、降りない。で、ボトルネックになる。会社やらプロジェクトでもきっとこの人はボトルネックになってるんだろうなって思う。
電車やバスのドア付近を死守している本人にとって、その場所をキープすることが本人にとっては一番都合が良いのはだれにでもわかる。
さて、では、その人は周りが見えていなくて単にその場所をキープしているのだろうか、それともわかっていてエゴを通しているのだろうか。
そいつは誰にもわからない。故にセンスが無い、なんてひとまとめにできないな。

これが電車内のポジションだから、まぁどうでもよい話だが、これが戦争での囮部隊の話だったらどうするよ。
「オマエらが囮になってくれれば、オマエらは全滅するけど戦争には勝てるから、みんなのために死んでくれ」と平気で言えたりそういう命令に「了解」と二つ返事してくれる人が「センスのいい人」なのかい?
話が極端すぎる? じゃあ、電車のドアポジと戦争との間にある大きな幅の中で、どこに線を引くのよさ?

自分で問を設定しておいてナンだが、自分の中にはその答えはまだない。多分、正解もないと思う。
だが、部分と全体のどちらを尊重するか、その境目はどこか、という「自分はここで線を引く」基準とそれに対する説得力のある根拠を持っている人こそが、本当にセンスのある人なんではないかな。