2011年11月27日日曜日

通勤時間がなくなって

無職になったわけではありません。
毎日ではありませんが在宅勤務が可能になったので、(該当の日は)通勤しなくてすむようになったということです。
わかっているとはいえ、仕事や生活がかなり変化したので私的なメモをかねてここに一筆というわけです。

まず、仕事時間。時間管理ができない人には難しい勤務形態というのは誰もがみんな想像できるのですが、これ、みなさん負の意味しか考えていないと思うんですよね。つまり、時間になっても仕事しないとか、業務時間に仕事してないとか。でも実際逆ですね。
あ・・・と気付くとお昼時間終わってたり、んー・・・薄暗くなってきたなぁと思ったら終了時間過ぎてたり・・・。
そうなんです。周りに人がいないという事は、誰もお昼に誘ってくれないし、今日はあのお店でホニャララ食べたいな、とか考える必要がなくなる分、区切りがつかない。
これ、一人暮らしでかつ時間管理がダメな人だったら、ずーっと仕事し続けておかしくなっちゃうんではないかと思いますね。

そしてもうひとつ大きかったのは、無駄な時間の大切さ。
平たく言ってしまえば、同じ職場の人との雑談がなくなったことです。コレ、良い事ばかりではないんですよ、実は。
仕事そのものの効率はポンっとあがります。無駄話はされることもすることもありません。誰かが「ついでに」席に寄ってきて、仕事を中断されることもなくなります。
もちろん電話は鳴りますが、無駄話するために電話する人はいませんから、特にあれこれ思考する必要がある場合、かなり良い環境です。
で も、これが裏目に出るのが「うまくいってないとき」や「なんとなく不安があるとき」なんです。オフィスにいる時は、「あってるはずだけどなんとなく不安」 なことがあると、左右の人に「ちょっとすみません。ホニャララについてなんですけどね・・・・」と教えてもらう事ができたり、プレッシャーでつぶれそうな時に雑談で気が紛れたり、なんてことがあるのですが・・・電話では不可能なんですよ。
もちろん、本当に困っている時は同僚や上司に助けを求めますよ。でも「あってるけど、なんとなく」ではちょっと気が引けるんです。
自分の場合はかなりワガママなので、そうは言いつつ、いろんなひとに電話したりメールしたりしてますが、ちょっと気の弱い人だとまさに「孤独との戦い」になるのではないかなぁ、と思います。
職場のとある年配の方が「在宅勤務はな、君みたいに相当気の強い人でないと無理やで」と言われて、なんじゃそりゃ? と思ってたのですが、今ならわかりますね。

在宅勤務っていうのはとっても魅力的な勤務形態だけど、こんなこともあるんだよ、というおはなしでした。

2011年11月26日土曜日

ジェンダーについてあれこれ

なぜか最近 (でもないか・・・) ジェンダーについていろいろとツイッター上で見かける。
「旦那はウンタラ」「専業主婦はドータラ」「ミスコンはアーダコーだ」などなど。
私の意見としては、そもそも全く同じ等ありえん。生物学的に違うのだから。
ここに根源をなす部分は、どうしても超えられない壁なのだから、同じか違うかの議論をしてもしゃーないやんけ、ということである。
一方、性差が全く関係ない、という事象もたくさんある。
たとえば力仕事。一般に男性がするものという「通念」があるが、個人差に収束するので関係ない。断っておくが、重量上げのような特殊な場合は想定していないのであしからず。
グダグタ書いていて、なにが言いたいかというと「相手の立場がうらやましければ、その立場になれば?」ということである。

2011年11月8日火曜日

国民皆保険制度と混合診療 再び

日本の国民皆保険について、利用者側からの制度はそれなりに良く知られていますが、では中身はどうなっているかというと、twitterでエラそうに講釈を垂れている人も実は知らないことが多いようなので、ここで再び。
日本では、病気になって病院にかかる場合、普通は保険診療を受けます。つまり保険証を出して、保険で認められている治療を受けて、治療費の7割を保険に払ってもらうのです。
で、混合診療というのは、この保険で認められている治療と認められていない治療を同じ保険医から受ける事を言います。
今の制度では、こういうことをすると本来保険でカバーされている部分も含めてすべて自費でまかなう必要がある、というのが当局の言い分です。
「ん?」と思われる方が多いでしょう。
例えると、「何でマクドのセットメニューに、ナゲット1品追加したら全部単品の値段になるんだ?」というのは当然にみえますよね。
ところが、日本の保険でカバーされている治療や薬の範囲というのはとてつもなく広い範囲なんです。それは、すべての人が平等に必要な治療を受けれる、というのが大前提だからなのです。そして、ここで受けた治療によって健康被害を受けた場合、国からちゃんと補償してもらえるのです。
なので、新薬が創られ臨床試験で効果が認められると、承認と同時にほぼすべからく薬価収載され、保険によって薬の値段が決められます。これによって日本で承認された=保険で治療が受けられるという構図が出来上がります。
これが適用されないのは、例えば高価なセラミック義歯やバイアグラなど「なくても困らない」ものです。
しかしながら、最近の問題としてドラッグラグというのがあります。海外で認められている治療にもかかわらず、日本で承認・薬価収載されていないために、自費で治療しなくてはならない、という事態が起こっています。この場合、先に述べた通り承認されている治療費も自費になっちゃう。そしてこういうケースは大抵元々の治療が高額な場合が多い。だから裁判沙汰にもなったのです。

で、混合診療解禁論者たちは言うのです。さっきのマクドの例のように、承認されている治療は保険で、その他は自費でいいじゃないか、と。
うん。今は良いんですよ。それで。
お金に余裕がない人も、追加治療分だけ自費で負担すれば最新の治療が受けられる!! でもこの人たちはその先の事なーんも、これっぽっちも考えてないんです(もしくはわかってて儲ける事しか考えていない)。

たとえば製薬企業たちは混合診療解禁になったら、どういう方針を取ると思います?
何が悲しゅうて、大枚はたいて開発した新薬の値段を役所に決められなきゃならん? 言い値での売買が法的にOKになるんですから薬価収載しなくなるでしょう。承認申請すらしなくなるかもしれません。個人輸入でどしどし買ってくれるんだから、何百億もかけて臨床試験する義理はないですわな。命がかかってるなら尚更。
そういうときの為に民間の高ーい保険に入るか、保険を諦めて病気になったら死を待つか、2択な世になるんですよ、アメリカみたいに。
ちなみにアメリカの保険会社がカバーする基準も「FDAの審査にパスしているかどうか」ではありませんよ。参考にはしますけどね。

まぁ、医師の側からみれば、今の保険制度は必ずしも良い制度ではないんです。どんな名医でもヤブ医者でも、同じ治療をすれば同じ診療報酬ですから。
さて、混合診療解禁になった時、特に腕に自信のある医師が、黙っても患者が「是非看てください」とお金を積んでいく状況で、保険医続けると思います? 反対に、保険医を続けるカテゴリーに入る医者たちのレベルってどうなんでしょう・・・命がかかった病気に罹ったとき、あなたはどちらを選びます? ま、選択肢はお金持ちにしかないんですけどね。
こういう末路なんですよ。混合診療の解禁っていうのは。
推進論者はこういう事実を知らない能天気な連中か、「知ってて」黙ってる腹黒い連中のどちらかです。格差が縮まる? 寝言は寝てる時だけにして欲しいもんです。

2011年11月2日水曜日

電子書籍と著作権

電子書籍について、いろんな誤解があるように思う。まぁ、自分も誤解しているのかもしれないが・・・
まず、「紙媒体はちゃんと構成等が練られているが、電子書籍は云々・・・」って、んなわけないでしょうが。電子書籍なら版組や校正なんかのコストが いらなくなるとか余計にかかるとか、わけがわかりません。そりゃあ独特の工程は入るし不要な工程は削られるでしょうよ。でもそんな劇的にかわりませんっ て。第一、出版のコストに対してそこんとこ、そんなに大きかったですかねぇ・・・
再販制度のおかげ(?)で抱え込んでいる返品本の山とどっちが経営を圧迫するか、ちょいと考えればわかりそうなものですが。
で、もっと驚いてズッコケそうになったのが、「電子書籍のみになって紙媒体がなくなると焚書が起きる」ってRTもらったときです。
いや確かに、amazonで購入したkindle本の「1984」と「動物農場」を勝手に消したのは事実ですが、それを一般化されてもなぁ・・・
要は、著作権保護と消費者保護のバランスの問題であって、「だから電子書籍は・・・」っていうのは無茶です。
著 作権ってのは、作者の「自分の作品を広く世に知ってもらいたい」という願いと「自分の作品を与り知らぬところで勝手な扱いをされたくない」「自分の作品に 対する正当な評価とそれによる正当な報酬を得たい」という相反する思いをうまく両立させるためのものだと思うのですよね。それが結果として、作者の創造意欲につながるのだと。
こんな話をするのは、とどのつまり、先に例を出したような「焚書」もどきが起こるのは、この著作権の使われ方と使い手が悪いのだと考えてるのです。
お金を出して買ったものを、作者(あるいは著作権保有者)の意に染まぬという理由で手元から消せるってのは、作者の創造意欲につながってますか? 「俺の作品が、俺が嫌だと言ったらこの世から自由に消せるようになった。よし、次の作品創るぞ」って思う人、いるとおもいます?
つまりは、作者の創造意欲だとか作品に込める思いなんかと全然別のところで運用されているのです。それによって創造をしないでも利益を上げれる連中によって。
だから私は著作権の保護と拡大を叫ぶ連中には叛旗を翻しています。