2012年7月27日金曜日

カローシがなくならないわけ

ちょっとばかり休暇を取って、海外旅行に行ったのだが、もう以前程楽しくなくなってしまった。
何故か・・・インターネットその他諸々のIT技術のお陰である。
ほんの数年前だったらば、海外に脱出してしまえば連絡方法なんぞ、ホテル宛の国際電話しかなかった。
だから、ワーカーホリック万歳の日本人ですら、電話するのを躊躇した。

ところが、今は環境が一変している。
その最たるものが email だ。
こいつには悪い面が2つある。
1つめは24時間365日、そのきになればどこでもいつでも可能なことだ。いや、可能になった、というべきか。
数年前までは、海外でネットに接続できるところは本当に限られていた。公衆WiFiなんか限られた先進国以外ではまずなかったのである。
ところが今では、空港、ホテル、観光名所、カフェ・・・どこでも繋がる。
どこでも追っかけられるってわけだ。

2つめは手軽さ。
ポンっとボタン一つで面倒な案件でもメールできる気軽さ。
ただし、これは駆逐すべき日本人の悪癖とも相まっている。
他の国の人は、休暇だとわかれば、その後は帰ってくるまで触れないのがあたりまえである。
ところが日本人という奴は、休暇中の相手から回答が来ることを期待する、というか回答が来て当然と考えるのである。しかも相手が日本人の時だけ
こういう態度を変えない限り、いくら社内公用語を英語に変えようが何をしようが、決してGlobalではどうにもならん、といい加減気付いてくれ・・・

2012年7月9日月曜日

社会は厳しいか

そのものズバリな記事を見つけた
体育会系のクズがやさしい社会を殺してる気がする

全くと言ってていい程正しい、ていうか、もっと阿呆でどうしようもないよ。
ちょいと昔に話題になってたサイトの
「みんなで不幸になろうキャンペーン」を地で行く連中だからね。

今の生きにくい社会通念を作り出したのは、みんな阿呆な体育会系である。
例えば、誰かが私用で早く帰らないといけない、あるいは休まなきゃいけない・・・こんなときは残っているメンバーがカバーすれば良いのだ。

ところが、日本の体育会系はちがう。
「おまえだけ勝手は許さない」とか「ズルい」とか言い出す。
何のためにチームで仕事をしていると思ってんだ? おまいらは部活やらなんやらで「助け合い」ってのを教えてもらわなかったんか?

ちなみに、助け合う、チームでカバーするって考え方は世界標準だ。
今、数多くの国のメンバーとチームを組んで仕事をしているが、
「子供が風邪をひいたから、会議を延期してくれ」と言うと、どこの国のみんな協力して代案をいろいろ出してくれる。会社の同僚だけじゃないぞ。クライアントのメンバーもなんとかしようって言ってくれるのだ。
初めてそう言ってもらった時、涙が出る程ありがたかった。そしてチームのメンバーに何かあったら、今度は自分が協力してなんとかしてあげよう!!とも。
そして、クライアントも含めて、プロジェクトチームの結束が強くなっていくのだ。

翻って「勝手なことは許さん」とかのたまう体育会系が仕切るチームなんぞには、これっぽっちも協力してやる気なんか起きない。
みんなで不幸になって勝手に自滅してやがれ、くらいの感情しかわかない。

どっちが効率が良く仕事を進められ、高い成果が出て、自分にもメンバーにもやさしいチームか、一目瞭然である。
こんな簡単なことが未だにわからないのが体育会系の阿呆どもであり、まぁ奴らにはアホさ故に永遠に理解できないのだろうがね。

2012年7月6日金曜日

読書感想文って何のため?

もうすぐ夏休み。
夏休みといえば、宿題。
宿題といえば、課題図書と読書感想文、である。
課題図書が利権そのた諸々の都合により、どうしようもない作品が混ざるのはもう横においておくとして、読書感想文についてひとこと。

機会がある毎に言い続けているのは、読書感想文は「小論文」の一形態である。だから書くための形式やなんかは、学校で教師がキチッと指導せにゃならんのである。
ところが、「作文」の指導はしていても、「読書感想文」の指導は何故か無い。
それどころか酷い教師になると「起承転結」とか言っているらしい。
論文に起承転結があってたまるか馬鹿めが。

あるべきは、
この本を読んで何をどう感じたかを表現する「序論」
何故そのように感じたかを、作中の表現、推察される作者の考え、比較する自分の体験などを交えて裏付けていく「本論」
あとは「本論」が「序論」を裏付けていることを総括する「結論」があればなお良し。
本を読んで感動したか、何かを学び取ったか、等ということは読書感想文には関係ないのである。

まぁ、だから、課題図書が屑みたいな作品であっても支障はないと言ってしまえば、そちらの問題はそれまでであるが・・・